Author Archives: chibita

トヨタのFF車

80年代前半に各種現れた第1世代は、フォームといい中身といいどれもそれなりにフレッシュな真剣さにあふれていました。
FF化が遅れたこともあって世界レベル、というか欧州車に対する後身を真剣に受け止めていたせいでしょう。
ところが、一段落して2世代目3世代目と代わるうちに、それらは急激にどうでもいいものとなっていった。
本質的な性能の充実をおざなりにして、はっきり言えば土台を使い回ししながらお茶を濁し続けたわけであります。
他メーカーのレベルその他市場における競争の状況を俯瞰的に見極めて、要するにお客を甘く見ていたのです。
簡単にナメられるこちらの側にも少なからず問題はあったにせよ、そういうふざけた具体的なトヨタ車は、今だとコロナとか。
つい最近まであったスターレットもそうです。

ここにきてようやくそれら全体が大きく世代交代をしつつはあるが、ヴィッツやビスタを見ていると、手放しで喜ぶ気にはなれありません。
かといって、十数年も昔のスターレットやコロナやカローラを一押しするのが現実的とはとうていいえありません。

だいたいオススメしようにも、この車がほとんどないのだからどうしようもありません。
ことほどさように、何らかの原因でイチから新しいことを始めるときは、たとえ世慣れた大メーカーの仕事であっても不可能というか、ストレートなノリが結構前面に表れる。
もっと言えば、そういうときの車でもないかぎりわざわざ高いお金を払って買う必要はないのではないか。
世代を超えてコンスタントに〝いい仕事″を続けている日本車というのはまずありません。
パッと思いつく範囲では、セルシオとロードスターとレガシィくらいです。
ほかの車種はほとんどが途中で駄目になるか当初からずっと駄目という状態……。
というような事実に気づく、典型例はモデルチェンジをした後です。
で、いい車を手に入れようとすると、中古車ということになるのです。
日産、トヨタ以外では最近だとホンダのマイナーチェンジもダメだった。
3ドアのみでポップな内外装色というのは製品企画上かなり本格的なものだったはずなのに、それが激しく不評と見るやいなや変更。
当初製品化は考慮すらされていなかった5ドアモデルをあわてて修正し、内装色も無難な無彩色系に。
乗れば相変わらずいいことはいいにせよ、単純だったオリジナルコンセプトははっきり否定されたわけです。
なんだこれという気もするが、それで確実に売れてしまうのだからホントに悲しい。
いや、だからこそ、なくなった貴重な仕様を買えるのも中古車ならではのよさだと思えばいいじゃないか。

車の買い時

さすがに魚や野菜の旬よりは長いが、限られた時間という意味では似たようなものかもしれません。
それに、魚や野菜なら一度旬を逃しても次もまたいいときがやってくる。
けれど、車の場合はそのかぎりではありません。
どういうわけか、ことに日本車の場合はいい状態が2世代3世代と長く続くことがほとんどありません。
いい状態とは、ひとつには作る側がキツイながらも其撃に、または気合あふれる仕事をした結果として車があるような状態です。
作った人々に直接触れる機会が多いせいも多少はあるかもしれないが、日本車の場合はたとえば同じ名前の車でも、世代ごとに頑張ったケースとそうでないケースがはっきりします。
場合によっては、それこそ写真を見ただけでもわかってしまう。
しかも、デキのいいときとそうでないときのバラツキもかなりデカい。
たとえば、わかりやすいところだと日産プリメーラ。
初代モデルと現行型とは、まさに似て非なる車です。
初代モデルは、欧州メインということで日本車らしからぬ真剣な車作りをしたことが評価されて独自の地位を築いた。
それに油断でもしたのか、モデルチェンジ後は普通な日本車そのもの。
で、今やかつてのオーラはありません。
車としてもむしろ退化してしまいました。

初代モデルのどこがよくて日本で望外のヒットとなったのか、おそらく製作側は何もわかっていなかったのでしょう。
ということで、年式的にちょっとキツクなりつつありますが、第3章で初代モデルをオススメしております。
または同じく日産のスカイライン。
2世代前、つまりGT・Rが復活した最初の時代は、見事にビシッと意志統一のされた車件りの産物でした。
言ってみればGT・Rのために、ほかのすべてのスカイラインが犠牲になったような惨状だったが、おかげで少なくとも主張ははっきり明快に伝わった。
主張とはズバリ、軽快なスポーツセダンですね。
ブタ呼ばわりされたその前の現行モデルとはうって変わって、足腰も上半身もバッチリとシェイプアップされていた。
それが、次の型、つまり現行型の先代ではまったく逆戻りしました。
開発段階の途中で、ホイールベース延長などという意味不明な決定も下ったりして、見るからに水太りの状態になってしまったのです。
あわてて現行型で元に戻そうとかなり頑張ったが、旧モデルの体と同じ状態にはならず……。

オートマについて

今や、ほとんど前時代のアイテムといった感すらあります。
なのに、乗ってみると1段オートマより断然に運転しやすい。
ギアの段数がひとつ減っただけで、ほとんど別もの。
しかも例外なく。どうしてなんでしょうか。
簡単に言って、それは余裕がないぶん真撃な態度で設計されているからでしょう。
そういう話を知り合いの先輩にしたら2段オートマはもっと真面目だったよと言われてしまいました。
たしかにそうかもしれません。
極端なOD=オーバードライブをはじめとするおかしなギア比配分やスカスカのトルコンなどは、考えてみればすべて4段になったために運用されてしまったのです。
理屈のうえでは、機械の潜在能力が一段上がって、ばら色の未来が開けたはずなのに、現実に余裕が増えたせいで、かえって正味の使いやすさが失われてしまいました。
たしかに4段オートマは、誰もいない高速道路をすーっと速度一定で走るときにはエンジン回転が下がるぶん正直に静かで燃費もよくていいかもしれません。
または、青信号スタートで、ギャギャッと乱暴に飛び出すのは安全になったかもしれません。
4段オートマ(主として日本)の良い点は、せいぜいその程度でしかありません。
とはいえ、そんなものは良い点とはいえありません。
勿論、段数が増えたぶん、いいところばかりを享受できる例だってあるわけですが。
そういうわけで、3段オートマのよさは自分的には西暦2000年における自動車関係での最大の発見です。
どんな新型車も、どんな新技術も驚きと感動という点で3段オートマにはかないません。
これは正直な考えです。
こうした気持ちは、単に安いからという原因からだけではなく中古車に注目するというのも、とらえかたとして同様ではないでしょうか。
言ってみれば、さしずめ中古車とは1周遅れの最新バージョン。
テクノロジーが進歩する、更新されるというのは、それ以前の状態でひとまず成熟していた状態を一度チャラにして新規の挑戦を始めるということでもあります。
当然、不十分だったり不慣れだったりする部分が大目になります。

日本の車のオートマ

私は常々、日本の車のオートマは本当に微妙だとさかんにつぶやいてきました。
電子制御だの何だのといいつつ、普通にキレイに運転しようとするとかえって苦労するか、またはそれがほとんど不可能であるような物が圧倒的多数だからです。
その一部だけとっても、日本車など買わないほうがいいと判断するには十分すぎてお釣りがくると本気で考えていました。

限界性能が低かったら限界で走らなければいいだけの話だが、オートマという機構がなければ、車を走らせることはできない。
その変速機がへンだったら、これはもうどうもなりません。
しかし、そのへんに対する考え方が、ここ最近多少か変わってきました。
というのは、偶然にして3段オートマの国産車に新車、中古車とりまぜて何台かに乗ってみたからです。

そして、それら3段オートマがどれも結構目からウロコの落ちるような出来の良いものばかりだったからです。
近頃は軽自動車でもオートマは4段が当たり前で試乗する車に3段オートマがついていることはほとんどありません。
ということで、すっかり眼中になかったが実に意外というか盲点でした。
ひとたびそれに気がつくと、そういえば以前に乗った3段オートマ車はどれも良かった。

誇張でなく、今のお気に入りはとにかく3段オートマの車ですと言ってまわりたいテンションです。
車選びのアドバイスがたった1行にも満たない説明で済むのだから、考えようによっては楽なことではないでしょうか。

車のスペックの向上

車体のスペックは更新され続ける状況にあります。
わかりやすいところだと、たとえばFlマシンは次から次へと規約によるスピード規制を受け続けながらも着実に以前より速いラップタイムを出せるようになっていきます。
エンジン出力ひとつとってみても、20年前は3000ccで500pS台がやっとだったのに今は900pSに届こうかという勢いです。
ひょっとして、トップクラスのものはすでにたどり着いているかもしれません。
ちなみに、1分当たりのエンジン回転数でいうと9000ちょっとだったのがほぼ倍の20000。
けた外れに甲高いあのモーター音はそのせいです。
周波数が倍になると音はちょうど1オクターブ高くなると言われています。

Flならぬ路上の車も、本質的には同じことです。
車雑誌の新車情報が毎月教えてくれているように、いわゆるスペック上の額面部分はどんどん向上しています。
エンジンが速くなるだけでなく、車内は広くなるし装備は豊富になるし、また、より静かにもなります。
問題は、そのスペック向上が普通の人々が生活で使うモノとしてのよさには必ずしも直結していないところにあります。
ラップタイムがよくなればすべて万々歳のFlマシンとは、そこがいささか違うところです。
たとえばオートマがいい例ですね。

車の性能

車は走れば大量の汚い排ガスを出し、不幸にしてひとたび事故すると乗員の生命をあっさり奪ってしまうような危険にさらす犯罪的な存在かもしれません。
エアバッグやABSが付いていたにもかかわらず、またはクラッシュテストの成果がよくなったにもかかわらず危険な車も実はあるのだけれど、そういうことは雑誌にはほとんど書いていない。
動力性能にしろいわゆるハンドリング性能にしろ、車の性能である運転しやすさや乗っていて疲れないといった部分においてモデルチェンジがむしろ退化している例が少なくない。
いいことばかりの情報を読んで、または耳にして大いに期待しながらいざ試乗してみると、実際はさにあらず。
たとえば私の場合、車に乗って、そういった感覚を受けると、驚いたり自分の勘違いや鈍感なせいだと考えたりしたものだ。
でも今ではむしろそれが普通のことだと考えている。

それこそ、モデルチェンジで本当に車がよくなっていたらありがたい、運がよかったくらいの感覚です。
といって、べつにやっぱり古い車のほうが味わいがあっていい。
だからこそ中古車みたいなことをここで書きたいわけではない。
世界中の車が急速に、かつ不可逆的にいわゆる冷蔵庫や洗濯機といった安直な商品と化していく状況を嘆く向きも多いけれど、ここではそういう話題はひとまず脇へどけておくことにしたい。

中古車選びのお店について

隠れた名中古車をこれから追い求め続けたいと思います。
そういううれしい発見は、むしろ新車より中古車のほうが有望であるような気もしています。
お気に入りのお店さえ見つかれば、あとは車体の細かい心配などしなくてもいい。
それが中古車選びのひとつの完成形であり、同時に中古車選びのテーマでもあります。
たとえどんなに最高のものであっても、絶対に壊れない中古車などありえません。
そんな幻を追い求めるよりは、万が一にも何かあったときに気持ちよく、真摯に対応してくれるお店を探しておいたほうがはるかに現実的だし有効です。
そこの一点だけは抜かりなく考えたところで、あとの車選びは極力自由にいきましょう。
というわけで、楽しく興味深いな中古車ワールドを存分にお楽しみください。

メーカーにとって最も気をつかうのは新車発表のときですね。
世の車雑誌の主カ情報はなんといってもその新型車のニュースだ。
〝魅力″あるニューモデルのおかげでやっていけるところも少なくないだろう。
主としてメーカー発表の資料を情報源として書かれるそれら紹介サイトは、とにかく旧型車をこれでもかとばかりに貶める、または劣ったモノとして印象づけるかのような論調であることが珍しくない。

いわくエンジンの最高出力は旧型比OpS向上ボディのねじり剛性はとか、室内空間の余裕はとか。
で、そういう情報だけを素直な心で読んでいれば、いかにも車は年々確実に前よりいいモノになっているような気がしてくる。
少なくとも、一般の大多数の人々はそうだと思う。
もっと言えば、最近は型の古い車が単に劣っているだけでなく、何か怖いもののように感じられる人も少なくないはずだ。

車の楽しみ

輸入車および国産車の専門家として非常に頼りになる、そして信用のおける方々もいます。
たとえばの話、特に用事がなくとも彼らのところへなら遊びに行っていろいろ聞きたい。
そう思わせる魅力にあふれているという意味でも、非常に得難い人材といっていいでしょう。
個別の車評価に際しても、ライターとは立場も見識も異なるプロのコメントをしてもらいたいところです。

車の楽しみの重要な一部分は、あれこれ語り合えることであるのと同様、中古車の楽しみの大切な一部分としてお店の人とのコミュニケーションがあるわけです。
そして、車選び、わけても中古車選びで大切なのはお店選び、もっと言えば店員選びだと思います。
そういう意味では、たとえばファミレスの良い悪いを判断するのとさして変わりはありません。
いい店か悪い店かは、エスプレッソのお代わりを頼んだときの店員の態度ひとつでたいていの人は瞬間的に、かつかなりの高精度で正解を導き出しているはずです。
中古車だって基本は同じですね。
要は気持ちよく購入ができるかどうかです。
そこを置き去りにして、やれメーター巻き戻しの見破り方だの、事故車の識別法だの、と各種の付け焼き刃的な技術を覚え込んだところで、実際の車屋さんの店頭では何の役にも立ちません。
むしろ有害かもしれません。

また、あの車はどこそこが弱いだとか、この車は荒く扱われているケースが多いといったような、相対的な色々な一般論もまた読んで知る楽しみの一環としてはともかく、具体的な中古車選びの有効な原因とはなりえないでしょう。
したがって、こうした知識に詳しくないからといって特に気に病む必要もありません。
中古車選びというより、車自体に関して大切なのはただひとつ、普通なものとそれ以外の区別だけ。

中古車を購入する人のタイプ

確たる確証もなく言いますが、中古車を買う人には少なからずというか、結構下記のようなタイプが多いように感じます。
この先おいおい触れていくつもりですが、こうした中古車=劣った新車とする考え方は、結論からすると非常にツマラナイことです。
なぜなら、あまたある世の中の車のそれこそ新車という側面にだけしか触れられないことになるからです。
新車には新車の楽しみがあるし、反対に古い車には中古車ならではの楽しみがある。
それに車には、普通な車と普通でない車しかないという原則からすれば、新車と中古車の違いなどとるにたらない……とまでは必ずしもいえないにしても、少なくとも決定的なものではないと私は考えています。
そして、その思いは最近より強くなってきています。
ここ数年仕事で中古車とそれを扱う業者さんに触れる機会が増えて、より正確にはそのうち一部の車と車屋さんのおかげで、偏見が消えました。
でもって、その見方というのは、つまり中古車=単なる劣った衰えた新車であるという考え方にはかなりません。
中古車界の楽しさを多少なりとも知った現在では、ずっと自由な気持ちで車と向き合えるようになった気がします。
単純に言って、車選びを楽しめる視野が2倍に広くなったわけです。
もっと言えば、中古車界という広大な視界というか別天地が開けたようなものかもしれません。
しかも、その中古車界は、まさに何でもアリの豪華絢欄バトルロワイヤル状態です。

軽便車も高級車も、またはスポーツカーも基本的に違いなし。
当年モノも20年モノも違いはありません。
人気=需給バランンスと個体のコンディションで評価の概ねが決まってしまう。
そして、その評価とはつまり値段。
下手なインプレッション記事など足元にもおよばない明快さです。
中古車の世界を楽しめるようあなたの気持ちを自由自在にするところにあります。
中古車へのへンな抵抗感がなくなれば、あなたの車選びは、今よりずっと楽に広い視野になれるはずです。
中古車は必ずしもガマンの選択ではないのです。

どんな新車もいつかは中古車に

どんな新車であっても、ナンバープレートがついた瞬間から例外なく中古車になります。
その真実を前にすると、新車と中古車をハッキリ分けた車選びというものは、本質的にさして意味のないことではないかという気持ちになります。
原則として車には数種類しかありません。
つまり、普通な車=乗れる車とそれ以外=乗ってはいけない車。
勿論、それは中古車に関しても基本的に同じことです。
新車のとき駄目だった車は中古車になっても依然として駄目なままだし、新車がよかった車は中古車になってもやっぱりいい、当然ながら中古車は新車ではありません。
新車当時のおろしたて特有の芳しい匂いは薄れるかとうの昔に消え去り、往々にして性能がヤツレてもいます。
ガタがきたり、場合によっては多少の、または重大な持病をかかえていたりということもあるでしょう。
さもなくば、前のオーナーのつけたキズや泥が残っていたり。

または、シートにへンな座りグセがついていたり。
煙草のヤニ汚れや体臭が残っていたりなど。
もっと言えば、重大なダメージを受けた前歴があるかもしれない。
しかも、それがしっかり修復されていないままかもしれない。
……書いていてなんだかテンションが暗くなってくるのでこれ以上続けるのはやめますが。
このようなさまざまな原因から、中古車とはつまり劣った、衰えた中古車である、という考え方も出来ますね。

そして、少なからぬ人々が中古車をまさにそのような車であると考えています。
だから、中古車はダメだ買わない。
どうせブツけまくるのだから今だけは中古車でたくさん、でも次はきっと新車がいい。
今は残念ながらお金が足りないから仕方なく中古車、でもいつかはきっと新車など。